なぜビジップは走り続けるのか?

いまビジップは、九州の大学生を中心に、九大生、福大生、西南生、九産大生、などなど、さまざまな学生が所属している。
ビジップというのは、いわば学生ベンチャーで、学生にとっての0社目という立ち位置をとっている。
これまで、新卒採用の支援から、佐賀県伊万里市の地方創生、ドローンを使ったプログラミング教育など、さまざまなことに取り組んできた。
 
しかし一貫してるのは、新しい分野で活躍できる人材を輩出していくこと。そのために、ドローンやシェアエコ、◯◯Techなどに絡み続けてる。そして、それを事業としている。
 
これまでは、もちろん、大学卒業後に会社に新卒として入って、研修を受けて、年功序列という名のもとに、入社からの年数とともに役職があがっていった時代かもしれないが、これからの時代はそうではない。
自ら考え、自ら人生をデザインし、自らの力で人生をコントロールする力が求められる。
学生と社会人の境目がなくなるのもその内であろう。いまや、社会人であっても、勉強してる人は数多くいる。大学生と社会人の違いってなんでしょう?
 
パラレルキャリアや複業といったワードが飛び交う中で、それがどういうものなのかと知った上で社会に出るのか、知らない中、社会に出るのか、では、考え方が大きく異なる、ビジネスを知っているかどうかもそうだ。
 
社会人になってからビジネスを知るなんてのは、もう遅い。
 
ただ、その中で、どれだけ社会的意義のあることをやっているのかも重要だと思う。
 
これは個人的な意見だが、自分自身の成長なんてものはどうでもいいと思っている。僕は、生まれ育った日本をどうにかしたいし、生まれ育った下関という土地も含めて、日本という国を変えていきたい。これは、なぜ日本かと問われれば、日本で生まれて育ったから、としか答えようがない。自らのアイデンティティでもある。好きか嫌いかは置いておいて、自分自身のルーツを絶やしたくない。
 
日本の少子高齢化という課題は、これまでもずっと取り上げられてきた。しかし、そこに課題感を感じてる人がどれだけいるのか。このままではやばいという感覚を、どれだけの人が持っているのか。それだけが気がかりである。
 
だからこそ、この課題に真正面から向き合っていきたいし、成長というのは、この課題に向き合う中で、結果的についてくるものだと思ってる。
正直、職がなくても生きていける、なんとかなるこの日本という国で、安心材料としての経験を手に入れてどうなるというのか、そんなことを僕は日々考えている。
 
自分が生きる日本という国はどんな未来を迎えそうなのか?それに対して、どういう手立てが考えられるのか?という問題に対して、同じ年代の、次世代を担う若者が、必死に考えなくてどうする。
 
もちろん、その中で、自分なりの生き方を模索するというのは否定しないし、それに必死に取り組んでいる人を非難するわけではない。ここは理解してほしい。
 
ただ、ある程度、これまで何かに困った経験もなく、何をやりたいかも分からない状態の若者に問いたい。
どれだけのことを後世に残せるのか、そういうことを考えてみませんか。
めちゃくちゃ余裕のある人は、自分だけ助かればいいという思考は、もったいない。せっかくスキルも賢い頭も持ってるのに、他人のために活かしましょうよ。
 
自分自身は何ができるのか?本当に真剣に考えてみませんか。リスクを取れというわけではなく、何ができるのかを考えてみませんか。言いたいのはそれだけです。
 
これからの時代を創る若者が、今の潮流、これからの潮流を理解してないのはやばい。それをやばいと思っていないのは、もっとやばい。
シェアエコ?なにそれ?ブロックチェーン?なにそれ?AIやロボット?なにそれ?なんて状況で本当に良いんですか。
知ってればいいのか、というとそうではなくて、何かアクション起こしましょうよ。
これからの人類に何を残せるのか、そんなことを一度真剣に考えてみましょうよ。
 
今日言いたいのはそれだけです。